私たちって、誰?


2014年東京から、新潟の主人の実家へ移り住んで来ました。ペルー人の私にとって雪深い新潟の地は全てが物珍しく、本当にこんな土地にペルー種の食用ホオズキが育つのか不安でいっぱいでした。初年度は、オオタバコガにやられてほぼ全滅。2年目からは様々なやり方を試みて、ようやく少し生産できるようになりました。写真は我が家の食用ホオズキの畑の様子です。主人の口癖です。「圃場をきちっとしておかなければ良い物はできない」。写真に見る環境で、無農薬、無雑草で美味しいホオズキが生産されています。

 

 

農園オーナーの𠮷田充夫。私の主人。重い仕事は彼の仕事。農作業なんかやったことのない彼、とにかく試行錯誤の毎日。ここ五泉の実家に戻る前は、国際援助の世界で動くフリーのコンサルタント、開発計画、貧困削減、援助協調が彼の専門。使い古した28冊の公用パスポートが彼の精力的な活動の印。あの当時は一国の発展を、大統領や大臣らの補佐をして上流部から見て来ましたが、今度は底辺に回って現場で仕事をしています。自分の発想が現場で通用するのか、を試すかのように毎日嬉々としています。週の内、4日間は畑でホオズキやイチジクとチーク・ダンス。3日間は20年以上踊り続けてきたアルゼンチンタンゴを教えるインストラクター。

残りの時間は晴耕雨読の生活、日本全国や海外から来る翻訳依頼に対応したり、地域のコミュニティ--センターでスペイン語を教えたりする日々。学生時代、彼は国費の奨学金を得てメキシコの国立大学(UNAM)で大学院(言語学専攻)を終えてます。だから応用言語学の一端であるスペイン語教授はお手の物。彼の座右の銘は 「七変化」 Changeabilityです。よろしく。

 

 

私はマルー (Malu Tapia Rivera)。ペルー国籍で、農園の共同オーナー。私の雰囲気でおわかりの通り、新潟に来るまでは農業とは無縁でした。ペルーの美術大学を卒業して、画家や美術品修復師をしていました。今は畑でも、タンゴ・ダンスでも、スペイン語の授業でも、私は彼の大事な助手です。新潟での自然相手の生活、とても気に入ってます。蜘蛛は嫌いですけど。

 

 

 

 

当農園で栽培している種類は、ペルー種(Peruviana L.)です。富士見町のバディアス農場から分けて頂いた「太陽の子」の孫たちです。糖度が高く、小振りで、多用途に使える品種です。日本では主にこのペルウィアーナの他にプルイノサ(Pruinosa bailey)、イクソカルパ(Ixocarpa Brot.)が栽培されるのが一般的です。

 

 

 

フランス原産の黒イチジク(Viollette de Sollies) ビオレ・ソリエス。樹勢の強い木で、木は自分が大きくなることばかり考える性質なので、枝は茂るけど実を着けないことで有名な種類です。普通のイチジク農家の営農には向かないイチジクです。でも、フランス料理やイタリア料理のシェフ達は、チーズやフォグラ等に合わせるにはこの皮ごと食べるイチジクが欠かせないと言います。スーパーで売られているイチジクよりもっちりとして、糖度も高いです。一度食べると、離れられなくなる禁断の甘味のあるイチジクです。